第8話  武 士 の 釣    平成15年6月29日

武士の釣と云うと窮屈に聞こえる。

武士といってもやはり人間だ。釣は面白かったに違いない。

釣に行ってひとたび事故を起こせば減俸下手すれば家禄没収だ。その様な事を踏まえて釣に行ったのである。多くの武士が釣に行って釣の事を日誌などにきめ細めに書いている。面白くないことを日誌などには書くことはない。

武芸の一端としての「釣芸」は、心身の鍛錬と称してはいるものの、面白いからこそ一生懸命になり、結果的に心身の鍛錬にもなり「武芸」の一端とされたとしか思えない。「結果よければすべて良し」と云う訳である。

殿様も、暇をもてあまし遊んでばかりで軟弱になって来た家来達を見て考えたに違いない。太平の世に馴らされて軟弱になってきた家来たちをいざ事が始まってから鍛える訳には行かないのである。やはり日ごろの鍛錬が必要である。「武芸」であるから釣行は合戦と同じである。朝マズメに間に合う夜間の出立は物見と同じであり、磯は戦場であった。

魚との戦いは合戦である。首尾よく魚が取れれば、勝利となる。

だから鶴岡では釣に行くことを「勝負」に行くと云った。

やはり、武士とはいえ朝から晩までのお勤めは辛かったであろう。いくら武芸だとか、釣芸だと云っても息抜きとして、ストレスの発散としての釣が楽しかったからに違いない。殿様の思いと武士達の思いが一致したからこそ独特の「庄内の釣」が生まれたのだと思う。